ナイーブ・リアリズム(空気を読む②)
相手と自分の価値観(背景)は違う。
違うとわかっているつもりで、
「同じ人間。相手は自分と同じはずだ」と
決めつけてしまっていた私の話をします。
あなたは、
「車椅子の方は、エレベーターを開けてもらう時、
ドアに手を添えてもらわない方が助かる。」
という”情報”を、ご存知でしょうか?
(誰しもではありません)
私は、今まで
良かれと思って、ドアに手を添えていました。
自分が通る時、
誰かが抑えてくれていれば、
「急に閉まらない」安心感と
「丁寧に扱ってもらえてる」感が、
あるからです。
だけど、違ったんです。
_______
なぜドアに手を添えない方がいいか。
車椅子って、実は、細かい操縦が
難しいそうです。
(介助者がいたり、
性能のいい車イスや、
長年乗っている方なら上手らしいです。)
ある車椅子の方の話では、
手を添えてもらえると、
「車椅子が、手を添えて下さる方に
当たってしまうかも」
(手を挟んでしまうかも)
という心配が出てくるそうです。
もちろん
慎重に動けば、当たりにくいし、
”良かれ”の気持ちはとてもありがたいので、
できたら・・・なのですが、
ドアには手を添えずに、
外で”開”ボタンを押してもらう方が助かるんです」
「車椅子の方全員がそれを求めているとは
限りませんし、
できればなのですが・・・。
お気持ちは、本当にありがたいです。」
と、とても申し訳なさそうに、
添えていらっしゃいました。
私は、そういう”情報”を知らなかったので、
とある講演会でそういうお話を聞けた時、
とても勉強になりました。
それ以来、
早く車椅子の方とエレベーターに
乗り合わせたくて、
少しワクワクしています。
(もちろん外で”開”ボタンを押すため。
隠しても、きっとドヤ顔。)
あ・・・「外に出て開ボタンを押す」も、
パック化しちゃっていますね(笑)
でも、知識がある事により、
その車イスの方が、どういう開け方を求めているかも
見ようとする意識も持てました。
直接、お聞きしてもいいかもしれません。
「自分はこうだから、相手もこう思うはず」
これは、心理学でナイーブ・リアリズムといいます。
「自分の感じているようなことを、
相手も同じ状況下なら感じるであろう」
というものです。
人は、他人の頭の中は見えないので、
自分の頭の中を参考にして判断します。
「自分はこうだから、相手もこう思うはず」は、
基本的に大事な考えに違いはないけれど、
それを絶対としてしまうと、
本来の心遣いが、
パック化された「これさえしとけば」のもの
になってしまう。
それって、
空気(相手の求めるもの)、読めてないやん。
テクニックだけで、心を手抜きしてる。
相手の心を読もうとしてなかった事に、気付けました。
(車椅子の方は、価値観の違いを理解していて、
どなたも困った空気なんて、
出してなかっただけかもしれませんが。)
車椅子の例のように、
皆が同じ価値観(考え方や経験)のもと、
生活しているわけではありません。
「もうどうしたらいいかわからない」
ではなく、
自分の価値観を疑う気持ち、
&相手を知ろうとする視点
大事だなぁ
と改めて考えさせられた経験でした。