(3)空気が読めないと言われたら
そもそも「空気を読む」とは、
どういうものだったのでしょう。
「相手の気持ちを察して、
相手を満たしてあげたい」という
温かい眼差し・心遣いであったはずです。
しかし、
「空気が読めない」というダメ出しは、
違う。
相手への温かい眼差しが、
相手への冷たい眼差しに変わったのです。
「こうあるべきだ」という”決めつけ”により。
これだと、押し付けになり、
皆が相手の顔色を見て、右にならえしないといけなくなる。
それに従わなければ、仲間に入れてもらえないから。
温かい眼差しが、冷たい眼差しに変わることで、
自由がどんどん制限されてしまいます。
相手の価値観を認めるということは、
相手の価値観を知ること。
「空気を読め」という人は、
相手の価値観を見ないで、認めようとしないで、
「空気が読めない」
とダメ出ししている事に、
気付いていないのです。
空気を読める人ならば、
相手の価値観を認められて、
求めているものを察せるはずなのですから。
だから、「空気が読めない」と言われたら、
「ああ、相手は空気が読めない人なんだな。」
と、思えば、それでおしまいです。
責められた自分を責める必要はありません。
もし、自分が責めてた事に気づいたら、
どうすればいいか。
もちろん責めてた自分を、
責める必要はありません。
質問・・・なぜ、空気が読めないか。
答え・・・”情報”がなかっただけなのです。
あなたは今、その”情報”を手にいれました。
あなたが自分の考え方・行動を変えたいなら、
変えればいいだけです。